入院当日です!

2009.11.25 *Wed*日々の出来事
なかなか更新もできないまま、入院当日を迎えました。

注射の副作用で、更年期障害が始ってしまい
だんだん涼しくなっているというのに、何もしなくても
一人バクバクと汗をかいてる私。。。

卵巣はまだ機能しているということなので、何事もなければ
卵巣は残してもらう予定でいるから、今年いっぱい我慢すれば
更年期も改善されるようです。

父には、今朝入院のことを伝えてきたのだけど
話をしてる間中、立ったり座ったり落ち着かず

「なんで入院するんだ?」
「どうして筋腫があることがわかったんだ?」
「大丈夫って言ったって、心配するだろ」

私に言わせりゃ、お父さんの方が心配じゃ!

とは言え、ヘタれの私・・・
かなりビビっておりますが、もう覚悟を決めるしかないでごじゃる。

退院してきましたら、詳しく書かせてもらいます。

午後2時からの入院なので、お昼は焼き肉で精をつけて
がんばって参りまするぅ〜!


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49日法要。。。

2009.10.22 *Thu*病院・病気と症状
義弟の49日法要、そして納骨が済んで
あっという間に10日が過ぎた。
なんだか毎日、午前中が忙しく午後には電池切れの状態で
パソコンを開く元気もなく、開いても読み逃げばかりでした。

義弟の49日法要も無事に終わり、納骨も滞りなく済みました。

主人は、我が家にお骨が無くなってしまったことに
かなり寂しい思いもあるようです。

最初はすべてを実家に持っていくつもりだったけど
仏具一式は、義母の時に揃っているわけだし

「お義父さん、コーヒー入れたり煙草に火を点けたりしないでしょ?
 だったら、仏具一式家に残して簡単なお仏壇もどきを作って家でやったら?」

主人にそう提案したら、すぐに賛成してくれて
義弟のお位牌と大きな遺影は、実家に持って行きましたが
小さい遺影とコーヒーカップは残し、義母と私の母の写真などを一緒に置き
その横に、なつのお骨やお位牌などを置いて
我が家流お仏壇
我が家流のお仏壇コーナーを作り

今も毎朝コーヒーを入れ、煙草に火を点けて一緒に一服しとります。

法要には、義弟の会社の人事部長のTさんと同僚のMさんが来てくださいました。
義弟はブランド物の時計をたくさん持っていたので
会社の方々6名と友人や従兄に、形見分けとしてお渡ししました。
法要後の食事会でも、義弟の思い出話に花が咲き
形見分けのことで、義弟の後輩に主人が電話をしたのだけど
同僚のMさんのところで、電話が来て

「声がソックリで・・・」

と、声を詰まらせていたと聞いたりしました。
双子だから声はよく似てて、リビングで二人で話しているのを聞いてると
短い言葉だと、どっちが話してるかわからない時もあったもんな・・・
なんて、思い出したりもした。

食事が終わって実家に戻り、お仏壇を片づけて義弟の場所を作り終わり
みんなで話している時、主人が

「姉貴よお、お通夜の時だって座りっぱなしでよお、俺とカミさんで社長なんかに
 お酌して回ってんのに、ずっと座ってんだからよお。
 姉貴の後ろで、手伝ってくれた会社の人たちが食ってたんぞ」
「そんなの知らない」
「知らないじゃなくてよお、親父と憲児が勤めてた会社の人達なんだから
 もう少し気を遣えよ、それに俺らが戻ったら、飯も残ってねえしよ〜(笑)」

突然、主人がそんな話を始めたので、ちょっとビックリしたんだけど
その話しの間中、義姉は私をチラチラと見て、言った言葉が

「しょうがねえだろ、お前は長男なんだから」

おぉぉぉ〜〜〜い!そういう問題かい!!
別に私が言わせたわけじゃないのに、そんな反撃かよ!
と、ここで叔母が

「でも長男でも、ここまではやらないわよ。普通は」

ナイスフォロー、ありがとうございました!
まあ、もうこういうこともないだろうけどさ。


私にとっては、最低最悪の体調の中、義弟の葬儀があり
その後も返礼品を選び、エクセルで住所録を作り
住所のわからない方の住所や電話番号を調べたり
法要の準備も、主人の実家近くで行ったために
義父と連絡を取りながら、お寺さんへのお願いや
その後の食事場所の手配などなど・・・
とにかく滞りなく済むように、主人と二人それだけを考えて
法要の日までを過ごした。

そのせいか?義弟が亡くなってから、49日法要までとても長く感じたけど
終わってからの、この10日間は早かったな〜。

わんこの病院、父の病院が2回、私の病院、ケアマネさんが来たり
返礼品は、主人がお香典をいただいた方全員に返すということで
合計219名あったのだけど、送付が始まって
住所が違ってたり、集合住宅の部屋番号がなかったりで調べたり
午前中がなんだかんだと忙しく、午後になると電池が切れる状態でした。

昨日は、私の受診日。
手術前検査で、レントゲン・心電図・血液検査を行った結果
貧血も改善されていたんだけど、生理を止める注射のせいで
更年期の症状が出始めているみたい。
またフェロミア錠の副作用もあって、身体がだるいらしい。
フェロミア錠は、今回処方されなかったので、あと2日飲んで終わりだから
だるさも取れるといいんだけどな。
先月1回目の注射の後、2週間後にもう1回出血があると言われたのだけど
4日からまた出血、4日ほど通常の生理と同じだったけど
その後もダラダラと続き、現在も止まらないので聞いたところ
私の筋腫はたくさんあるそうで、それらが全部子宮内に飛び出してるから
不正出血が始まると、ダラダラと続くらしい。
4週に1回の注射なんだけど、次回はその1週間後が手術になるので
18日に受診して、出血の状態を聞いてから、注射をするか?しないか?決めるそうな。
また卵巣を残すか?残すこと、取ってしまうことの、メリットデメリットなどなど
手術に関しての詳しい説明をすると言うことで、主人同伴で午後3時からとなり
入院の予約をして、帰ってきた。
昨日も主人が一緒に行ってくれたのだけど、私にしてみれば
18歳の時に、虫垂炎で下半身麻酔は経験しているが
全身麻酔は初めての経験になるし、お産の時以降入院したことがない。
麻酔の事故だってあるし・・・なんて、マイナス面ばかり考えてしまうんだな。
そして、一番心配なことが。。。

「あの〜、家にラブラドールが2頭いるんですけど
 退院したら、お散歩は出来ますか?」
「別に制限はないけど、お腹に力入れると、かなり痛いと思いますよ」
「い、痛い・・・」
「術後、2.3週間は痛むと思うから、出来ないんじゃないかな?」
「じゃあ、痛みが取れたら大丈夫ですか?」
「そうだね、痛むうちはやめた方がいいだろうね」

痛いのか・・・当たり前か・・・

「大丈夫だよ!正月には、切って良かった〜♪楽になったって言ってるから」
「そ、そうだよね」

主人も私の手術が終わらないと落ち着かないって言うけど
ヘタれの私。。。あと約1ヶ月・・・長いな〜。。。


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思うこと。。。

2009.09.26 *Sat*思うこと
義弟の葬儀の時のことを少し・・・

我が家には、ラブラドールが2頭いる。
その子たちの世話も含めて、義弟が亡くなってから彩佳に家にいるように言った。
お通夜告別式の時は、同じわんこ好きの友人にも家にいてもらえるよう
お願いして、留守番を頼んでおいた。
そしてもう一人、その友人と共通の後輩がいるのだけど
コイツが、空気を読めないと言うか、常識知らずと言うか・・・
知っているから、腹も立たないのだけど、この時もやらかしてくれた。

彼女はバツイチ母子家庭なのだけど、彼氏がいる。
それはいいのだけど、お通夜に来た時我が家に寄って行った。
ラブの1頭は、まだ9カ月なのだけど、高校生の娘が犬を見たいと言ったらしい。
告別式の日、留守番を頼んだ友人に連絡が入り

「娘と彼氏が犬を見たいって言ってるから、連れて行ってもいい?」

と言ったそうな・・・
連絡をもらった友人、こんな時にいったい何を言ってるんだ?と

「恵子さんに連絡してからまた連絡する」

と答えたそうな。
腹が立ったらしいが、私に連絡をくれたのだけど私も第一声が

「はあ〜?」

だった・・・
連絡を入れると言ってあったのだか、その友人が我が家に着くと
彼女らはすでに到着済み、しかもマンション内の駐車場に停めてある
車が出れない状態で、車を駐車してあったため、さらにヒートアップ。

「Kちゃん、車邪魔。あんなところに停めてたら、他の車が出れない」

我が家に入るなり、怒鳴ってしまったらしい。
我が家から出してる葬儀の最中に、犬を見たいとは・・・
ヤレヤレ ┐( -"-)┌ヤレヤレである。


そして、義姉・・・
義姉とは言っても、私は主人より3歳年上なので義姉の一つ上になる。

「憲一、お前長男なんだから、お前がやってよ」

何かにつけて、そう言っている義姉。
今回も主人がやると思っているから、口出しもしないのだが
私から言えば、もう少しケツを軽くしてもらいたいところだ。
2日間、すっかりお客さん状態だった。
通夜振る舞いも精進落としの時も、親族席に座ったまま
自分の父親と弟が、勤めていた会社の方々がたくさん来てると言うのに
食いっぱなしだった。
お通夜の日、彩佳と友人には、時間ギリギリに来るよう伝えておき
親族席で食事をするように言っておいたのだけど、席に着いた時には
ほとんど何もない状態で、義姉が追加を頼んだらしいが
それも義姉の家族5人でパクパクと食べてしまったそうな。
私と主人が、やっと席に着いた時には、お寿司はすっかりなく
サンドイッチとオードブルが少しだけ残っていた。

「誰一人、あなたたちの分を残しておくよう言う人がいなかった」

ずっと面倒を看て、バタバタと走り回ってる私達を誰も気遣わないと
友人が怒ってくれていた。

「自分の弟だけど、どう扱っていいかわからなかったし
 自分に出来ることは何かって考えたら、お金しかないと思ってさ。
 だから去年、2万円送ったでしょ」

2万円送ってくれたことをやたらと強調していたけど、その頃我が家は
経済的にギリギリだったから、施設の費用を助けてほしいと
私が手紙を出したからであって、様子を聞いてくることもなかったけどね。

「M江にも憲児の面倒を看させたかった。それだけは悔いが残る」

義父は年に3回、1回に2週間面倒を看てもらってたのだけど
夜8時頃、義弟がお風呂に入ると、義姉に電話をして愚痴っていたそうだ。
義父は自分も面倒を看て、その大変さをしみじみ感じていたようだ。
私が「怒ってばかりいたから」と言うと

「いいんだよ〜。恵子はよくやった。社長にも言われただろ?」

バツイチ子持ちで年上女房と言うことで、最初は大反対された私たちだけど
やっと認めてもらえたと言う感じがした。
しかしお義姉さん・・・期待はしてないけど、こういう時
もう少しフットワークを軽くしないと、旦那さんが笑われるじょ。

義弟の会社と主人の会社は、同じ業界なのだけど義弟の会社はトップクラスだ。
主人の会社の親会社とも言える会社が、お花も出してくれて弔電もあり
もちろん参列もしてくれたのけど、主人の会社は
同居の親族でも、弟だからという理由でお花もなにも出なかった。
唯一届いた弔電は、なんと故人の名前が義父の名前だったのには驚いた。
後日謝って来たそうだけど、あってはならない間違えじゃね。


ところで、私ですが。。。
義弟の危篤状態のときから、体調は悪かったからそろそろだろうと思っていたけど
ピンポイントで、お通夜の前の晩から生理が始まってしまった。
参列者に頭を下げるたびに、目は回るし、身体は重いし・・・
気力で乗り越えたという感じだ。
お薬が効いてきたのか?少し身体が軽くなったと思ったのは4日間ほどで
また体調が悪くなり始めた16日に受診。
1週間以内に生理が来るだろうと思い、そのことを話すと
生理が来てしまうと貧血も改善されないので、生理を止める注射を打つことになった。
この注射、皮下注射なのだけど、最初は生理が始まってから打つそうで
案の定22日から始まったので、24日に最初の注射を打ってきた。
緊急性はないので、2ヶ月先の11月25日入院26日手術と決まり
来月21日の受診では、手術前検査と説明もあるようです。


義弟が旅立って、1ヶ月が過ぎた。
自分の身体と相談しながらだったから、横になってることも多かったけど
外出することも多くて、ドタバタした1ヶ月だったな〜。
49日法要は、主人の実家近くのお寺さんで行うので
石屋さんにことや、法要後の食事のことなどの準備で
気持ち的には、まだまだ落ち着かない毎日。。。

この連休は、義弟の荷物整理を主人と二人でやった。
形見分けも考えながらなんだけど、義弟の古い手帳が見つかり
当時のことをメモ書きしてあったのを見て、こんなことをしてたのか・・・
なんぞと笑ったり、写真を見ては思い出話をしたりした。
CDの整理を始めると、主人の持ってるCDもあったりして

「アイツも聞いてたんだな〜。双子でも趣味は違うと思ってたけど
 似てるもんだな〜」

そんなことを言っていた。
衣類の整理をすると、主人は

「俺はもう洋服はいらないや。アイツのが全部着れるからな」

おしゃれさんだった義弟なので、ブランド物のシャツがたくさんあった。
主人は絶対着ないだろうと思う、義弟がいつも着ていた
キャプテンサンタのスイングトップは、残しておくことにした。
時計やお財布は、友人や会社の方々に形見分けすることにした。

「あきらめもついてるし、覚悟も出来てると思っていたけど、俺はまだ
 覚悟が出来てなかったんだな〜。こんなに引きずるとは思わなかった」

晩酌の時など、義弟の話が出ると、涙ぐんでる主人。
両親の愛情が薄いと言ってた主人と義弟は、産まれた時からいつも一緒。
私から見ても、双子ってこうなんだ・・・と、絆の強い二人だと感じていた。
どんなことでも、二人で相談して過ごしてきた35年。
そして闘病後義弟と同居が始り、症状が悪化するにつれて、主人の気持ちが
変わっていくことがせつなかったもんな。

義弟の書棚から、行動記録を書いていた頃のノートが出てきた。

「これはお前の、介護記録みたいなもんだな」

残しておいてもしょうがないものだけど、捨てることが出来なかった。

コーヒーを飲みながら、一服することが大好きだった義弟。

「最後に美味しいコーヒーで一服させてやりたかったな」

そう言う主人。
49日までは我が家にいる義弟。
毎朝大好きだったコーヒーとショッポに火を点けて、一緒に一服しとります。

もしあの時、自宅介護をしていたら、違った感情だったと思う。
施設に入れてから、私たちの気持ちの切り替えがまだ出来てなかった。
切り替えが出来てないのに、義弟が逝ってしまったから
悔いが残ってしまったんだと思う。
逝ってしまったから、思えることなんだと思う。

主人と義弟の思い出話をするば思い出す。
行動記録を書かせていた頃、毎朝毎夕勉強会をしたなとか
スイミングに通ってた頃、溺れそうになったなとか
下の世話が始まった時、「出来ない〜」って主人に泣いて言ったっけ。
でも一人で義弟の遺影を見ていると、我が家で過ごした約8年間のことは
あまり思い出さないんだよね。
主人はいろいろ思い出してるみたいだけど、私は頭が真っ白と言う感じだ。

今は49日のことでドタバタしてる。
主人は、納骨が済んだら、もっと寂しくなるんだろうな。。。


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葬儀。。。

2009.09.09 *Wed*病院・病気と症状
義弟が旅立って、半月過ぎたんだな〜。
もう半月なのか?まだ半月なのか?

義弟の危篤を聞いて、すぐに病院に向かいそのまま病室へ。

「憲児、来たぞ!」
「弟くん、目開けて」

そう声をかけたけど、義弟の反応はなかった。

「けんちゃん、弟くん息してる?」

二人で胸を触ったり、口元に耳を近づけたりしていると
相談員のOさんが来た。

「息してます?」
「そうなんです。10時35分ごろに呼吸が止まってしまって・・・」
「間に合わなかったのか・・・」
「弟くん、一人で逝っちゃったの?」

しばらく、二人で涙が止まらなかった。
不思議なものだ・・・あんなに憎たらしくて、介助することや介護することが
苦痛だったのに、こうなってしまうと、義弟の痩せ細った身体に
ペタペタと触れたくなってしまうのだ。
本当に人間とは、自分勝手な生き物です。

看護士さんたちが、義弟の身体を綺麗にしてくれてる間
連絡を取るべきところに、連絡をした。
義父も義姉もお昼頃と言っていたけど、連絡が来たのは12時半を過ぎていた。
義弟の死を知らせても、二人ともあまり動じることもなかったようだ。
二人とも携帯を持っていないので、二人が合流したら
また連絡をするということになっていたけど、その後なかなか連絡が取れなかった。

前日ある程度の打ち合わせしていたので、すぐに葬儀屋さんに連絡を取り
迎えにきてくれることになった。
マンションのエレベーターのない5階の我が家。
ラブラドールが2頭もいることから、最初は会館として借りたお寺さんに
預かってもらう予定だったが、1日3万円という金額は、ちょっと出せなかったので
そのまま葬儀屋さんに預かってもらうことにした。
お焼香できるように準備が出来たら、連絡をくれることになり
義弟を送り出した後、すぐ駅に義父と義姉を迎えに出た。
探すこと30分、やっと合流することが出来た頃に
葬儀屋さんから、準備が出来たと連絡が入り、そのまま葬儀屋さんへ。
義弟の会社、U取締役、T人事部長とその部下のAさん、同僚のMさんも
駆けつけてくれた。

義父と義弟は、同じ会社いた。
義父は今もその会社のOB会に入っているし、義父も役員までやっていた会社。
主人のことも義弟のことも、小学生の頃から知っている役員が今もいる。
もちろんU取締役もT人事部長のことも、義父は知っている。

「Tさんよ、今回もまたよろしく頼むよ」

義弟が倒れてすぐに、義母が亡くなった時も
会社の方々が、葬儀の手伝いをしてくれたのだけど
9年6ヶ月も休職してたにもかかわらず、義弟の場合は工場長補佐と言う役職から
現役役員の死と言うことで、扱ってくれたのだ。

葬儀は、ほとんど社葬に近い形で行われた。
お通夜が28日、義弟が亡くなったのが25日。
丸3日あったわけだけど、その間毎日夜10時過ぎまで打ち合わせが続いた。

当初は親族も入れて、100名予想だったけど
会社関係だけで、100名を越えると言われ
150名で設定したけど、200名まで対応できるようにお願いした。
会場のお寺さんを下見した際、約30台ほど駐車出来るスペースだったけど
30台分では足りないと言われ、駐車場の手配にも追われた。
まずは我が家が借りてる駐車場の、空いてるところを5台分確保。
さらにお寺さんの前に某大学のグランドがあり、管理人さんと知り合いだったので
お願いしたところ、お寺さんから連絡をもらえれば貸せるということで
葬儀屋さんにお願いして、お寺さんから連絡してもらい
さらに30台分の駐車場も確保、これでなんとかなった。

遺影は、闘病中の義弟ではなく、10年前の物だけど
義弟が倒れる半年前、まだバリバリの現役の頃の写真を選んだ。
会社の方々にとっての義弟のイメージは、この顔だと思ったからだ。

その間に、お花の注文も続々と入っていた。
喪主が2基、主人と私で1基、義姉と義兄で1基
その4基も含めて、全部で42基のお花が届き、祭壇はお花で埋まった。

会社の役員さんたちがいらして、主人が私を紹介するとみなさんが

「よく面倒見てくれたな。ありがとう!お疲れ様!」

そう声をかけてくださる方ばかり。

「お前は良い嫁さんもらったな。自慢の嫁さんだぞ」

社長様には、そう言ってもらった。

怒ってばかり怒鳴ってばかりの、ちっとも優しくない兄嫁だったのに
そんな言葉が、嬉しくもあり、せつなくもあった。

「俺のことなんか、誰も褒めてくれねえ。俺だって寝ないで働いたのに」

主人が笑いながら、そう言った。

祭壇・・・
祭壇に向かって、右側に親族、左側には社長様を始め役員の方々が列席してくれた。

お経をとなえてくださってる間、参列者は途切れることなく続いて
お世話になったご近所さんも、たくさん来てくれた。
さらに終わってからも、作業着で駆けつけてくださる方もいた。

お通夜が終わり、社長様や役員の方々が食事をしてる間
外では会社の社員の方々が、30名ほど残っていた。
中で食べてくれればいいのにな〜と思いつつ
私もあっちにこっちにと、あいさつで走り回っていたのだけど
8時半過ぎ、社長と副社長が帰られると、それを見送った後
残っていた社員さんたちが、蜂の子を散らすように帰られて行った。

「すごいですね〜」

葬儀屋さんと、ビックリしてしまったと同時に、ちょっと笑ってしまった。
社長様のお人柄もあるだろうが、従業員の団結力も強い会社なのだ。

告別式にも社長様始め役員の方々が列席してくださり
この日もお経をとなえてくださってる間、参列者が途切れることはなかった。
そして同僚のMさんが、弔辞を読んでくれた。

工場長になるまで、寮生活の中、二人で夢を語りながら過ごした日々や
工場長になってからも、二人でよく話をしたこと
闘病中のことや、私たちにまで労いの言葉も添えてくださった。

火葬場までも一緒に行ってくださり、お骨を拾ってくださり、精進落としまで
17名の方が、残ってくださった。

お通夜告別式を通して、述べ300人の方々の参列者。
私たち夫婦で仕切った葬儀だけど、こんな大きな葬儀は最初で最後だと思う。

会社人間だった義弟。
お嫁さんには恵まれなかったけど、この会社でこの人たちに囲まれて
仕事が出来たことは、義弟とって大きな財産だったに違いない。
長い闘病生活だったけど、会社の方々に見送っていただけたことは
何よりの幸せだったね。

8か月ぶりに自宅に戻ってきた義弟。
家に戻って・・・
49日までは、ここで休んでもらってます。

まだ書きたいことはあるのだけど、やることが山積みの毎日。
なので、また次回に・・・


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残念ながら。。。

2009.08.25 *Tue*病院・病気と症状
今日、午前10時59分、義弟は逝ってしまいました。

今日は義父と義姉が面会に来る予定になっていたので
お昼頃病院に行く予定でいたのだけど
10時過ぎに病院から連絡が入り、あわてて飛んで行ったけど
すでに呼吸は止まっていました。
実際に呼吸が止まったのは、10時35分ごろ。
私たちの到着を待って、死亡確認ということでした。

義弟の会社で、告別式は取り仕切ってくれるそうですが
友引も入ったため、週末までは忙しい毎日です。

また落ち着いたら、ご報告したいと思います。。。


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プロフィール

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断され
手術をしても余命2年と言われた義弟。

義弟が闘病生活に入ってからの
過去の出来事。。。
離婚後、我が家に来てからの出来事。
悪性脳腫瘍の手術後5年が過ぎて
高次脳機能障害と言われ
自己流でのリハビリ始めて3年が過ぎ
突然、急激に状態悪化。
放射線治療の後遺症で
脳萎縮が始まり、認知症と診断され
2008年7月、介護保険を申請。
半年間で、要介護3から要介護5へ。
介護療養型医療施設に入所して
7ヶ月が過ぎて・・・
2009年8月25日午前10時59分
義弟はこの世を去りました。
この日までの書き込みは
義弟の命の軌跡です。。。

そして、私の父はパーキンソン症候群。
一人暮らしの父も認知症初期かも?
これからは、父の看護日記になります。



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